東を目指して(タイ東北部ツーリング) 】                                    

・サワディ・カップ(タイ語で「こんにちは」の意)「サワディはせがわ」です。 
2008年12月29日から2009年1月4日の1週間、寒い日本から少しの間、抜け出して常夏の国タイに行き、
3日間だけですが愛車ホンダXR600でツーリングをしてきましたのでレポートします。

12月29日

 15:00着で私としては初めてのスワンナプーム空港へ到着した。以前、国際空港として使われていた
ドンムアン空港と比べきれいで大きい。この場所が1ヶ月前に占拠されていたとは思えない静けさだ。
一応ツアーなのでバンコクのホテルまで送迎してもらった。まだ日は高いので今日中にバイクを友人宅
からピックアップしよう。そう思い、すぐにタクシーで友人宅に向かった。友人宅には過去に2回ほど行った
ことがあり、グーグルの地図コピーも用意しているので、まったく問題無いと思っていた。しかし、
その家の前の道はグーグルにも無い新しく広い道になっており、間違いなく近くのはずだか家が解らない。
持っていた携帯電話はSIMカードの使用期限が切れており、近くのコンビニで新しいSIMカードを購入したが
登録が上手く出来ず結局、近所をウロウロしている間に真っ暗になってしまった。諦めてがっくりしてホテルに
戻る車中でやっとその友人に電話が繋がった。明日の朝、出直して友人宅でバイクの整備をさせてもらう
ことになった。
■サワディはせがわ

12月30日

 朝8:00昨日と同じタクシーにホテルに来てもらい出発した。友人宅に着いてみたら、なんてことは無い
昨日ここかと思い止まった場所がやはり正しかった。家人には話が通っており友人は不在だか友人の
親戚が親切に出迎えてくれた。さっそく懐かしい我がバイクの整備に入った。日本でリストアップした整備
項目と友人が言っていたエンジンからのカチャカチャ音に手を打たなければならない。

 エアクリーナーの交換、キャブレターのオーバーホール、チェーンスライダー交換、チェーンの調整・給油、
ヘッドライト交換、そしてタペット調整。タペット調整はシックネスゲージを持ってこなかったので指の感覚だけで
調整した。わずかに大きいだけでほぼ正しいタペットクリアランスに調整出来た。最後にタイヤの空気圧を点検
し、昼過ぎに友人宅を出た。

 そして近所のホンダ店でオイル交換をお願いしたが、ここでは出来ないと言う。とりあえずその店でオイル
2Lを購入した。ホンダ純正グレード40で400バーツ也(約1100円)そして教えてもらった、その店のすぐ裏に
あるバイク整備店に行った。そこは軒先で整備をする間口一間の小さな店だが友人宅やホテルでは廃油の
処理に困るので、ここでオイル交換をした。

 このXR600は別の友人が最近まで、とても大切に保管してくれていたのだが残念ながらエンジンオイルは
点検していなかった様で廃油は0.8Lも出てこなかった。もしかしたらタペット音が大きくなってしまった原因か
も知れなかった。オイルフィルターも交換し新しいオイルを約1.8L入れた。これですっかり整備も終り明日から
ツーリングに出られる。カムシャフトやロッカーアームの状態がこれ以上ひどくなるかどうかは判らないが
とりあえず走れる。高揚した気分でホテルまでバイクで帰った。
■整備中

12月31日

 エンジンのコンディションが判らないこと、そしてテレビのニュースで各地で渋滞が酷いことを知ったので、
まず私が以前、勤めていた工場を目指すことにした。私が勤めていた工場はバンコクから東に180kmの
プラチンブリと言う所にある。

 バンコク市街地を通り過ぎ、国道304号線を東に向かった。かなり道は混んでいた。路肩を慎重に走る。
そうタイでは整備されている道ではバイクは路肩を走るのが正しいのだ。99%タイカブなどの小排気量車しか
走っていないのでそうなるのだと思う。ここは知っている道なので不安も無く、道は混んでいるが、順調に
工場のあるプラチンブリにつくことが出来た。工場のある工業団地前の小さな商店街に入った。あぁ懐かしい。
工場は休みで中には入れなかったが入口で写真を撮って今度はカオヤイへ向かった。カオヤイとは
国立公園の名前で、そこには森の中を走る有料道路が通っている。後からも出てくるがタイではタイ人と
外国人では観光地の入場料が違うのが普通だ。それもいやらしくタイ人価格はタイ数字で書いてある。
日本で言えば「入場料弐百五拾円」みたいな表記になっている。そこまでしなくてもと思ってしまうが・・・。
■まっすぐな道

 カオヤイの通行料をしっかりタイ人価格?の70バーツで走り出すと猿が道に出ていた。きっと観光客が
エサをあげるのだろう。そのうちどこかの観光地のように飛び掛られるようになるかも知れない。
でも今はXR600の爆音でビビッているのでまだ大丈夫だろう。山頂の手前から平野を見下ろす素晴らしい
景色が味わえた。なぜ「山頂の手前」なのかというと山頂にはタイ陸軍の施設があり入れないのだ。
軍事施設入口のゲート前が展望場所となっている。
■カオヤイの眺め
 
 カオヤイ国立公園を抜けコラートへ向かった。エンジンの調子は絶好調だ。ここで以前から行きたかった
カオプラヴィハーン遺跡に行こうとふと思った。まったく行き当たりばったりである。カオプラヴィハーン遺跡は
バンコクから

東に約600kmのところにある有名な遺跡だ。行こうとなれば、今日は出来るだけ東へ走った方が良いのは
明白である。コラートへは寄らず目的地も決めずに国道24号線を東に向かった。車は皆、故郷へ帰るのか
観光なのか大変な混雑だ。しかしバイクはあまり走っていないのでバイクは快適に進むことができる。
すっかり暗くなってしまったが今夜はスリンという町で宿泊することにした。街中でガソリンを入れ、出来るだけ
賑やかそうな市内を流してホテルを見つけることにする。程無くホテルを見つけた。こんなに人が移動している
日なので部屋が無いかもと心配していたが、あっさり部屋は見つかった。エアコンと騒音付?
350バーツ(約1000円)無意識にエアコンの部屋と言ったのが後で失敗とわかった。今はクーラーは
涼しいので必要無く、さらにこの部屋は道に面しており大変に煩かった。まあ今夜は年越しなのでどこでも
煩かったかも知れないが・・。
■スリンのホテル

2009年1月1日

 車の騒音や花火などの音でなかなか眠れなかったが、今日はカオプラヴィハーンに行けるということで
8時には準備も出来、ホテルを出発した。泊ったスリンという町は毎年11月に行われるゾウ祭で有名な
町である。ホテルの駐車場で話し掛けたホテルの従業員らしき人にスリンのパンフレットをもらった。
スリンを観光するつもりはないが、その親切が嬉しかった。
■ゲート前にて
 30km程走り国道24号線に戻り東へ140km走ったところで221号線へ入る。案内板からも、もうすぐと
判りワクワクする。しかし、直後に兵隊が守るゲートが立ち塞がった。ここから先には行けないと言う。
理由を聞いた(と言っても理由を詳しく理解するほどタイ語は解らないが)ところ、新聞記事を見せてタイ軍と
カンボジア軍が緊張状態であるとの事。バンコクからわざわざ700kmバイクで走ってきたのにと粘るが、
すまなそうな兵士の態度なので諦めた。
■パノムルンの眺め
 
 近くの滝を見て(本当は別ルートが無いか、ちょっと探ったのだが)すごすごと引き返した。まだ正午近くなので
引き返してパノムルン遺跡を見ることにした。単調な国道24号線を引き返しパノムルン遺跡に到着した。

 と、あっさりと書いたがなんと240kmの距離である。途中でガソリンスタンドに何度か入ることになる。
タイのガソリンスタンドはもちろん給油だけの小さな店もあるが大きい国道などに面した大型店では、
きれいなトイレ、コンビニ、レストラン、喫茶店、自動車修理場がセットになっていてとても快適だ。
ガソリンを入れて、食事や水を補給できる。ちなみに今回、ガソリンはハイオク(95オクタン)で
22バーツ(約62円)前後でした。
■パノムルン遺跡
 
 パノムルン遺跡ではタイ人30バーツと書かれていたので、何食わぬ顔で20バーツ札2枚を出す作戦を
採ったが見破られ、しかたなく外国人料金100バーツを支払い入場した。一応、「高けっ」と抗議はして
おいたが・・まぁ280円だし良しとするか。

 この遺跡は小高い丘の上にあり遺跡も素晴らしかったが、遠くカンボジアまで見渡せたのか判らないが
地平線の眺めがとても良かった。でも、しつこい写真売りには閉口したが。
■コラートのホテル
 
 遺跡のある丘を下りコラートへ向かった。コラートとは高原という意味だが街の名前を指す。
正式名はナーコン・ラーチャシーマーというタイ第2の大きな街だ。街は川に取り囲まれており、
もう今は残っていないが昔は城壁で取り囲まれていたらしい。昔はどの街もビルマ軍の攻撃に備え城壁を
張り巡らせていたようだ。その旧市街に入りウロウロしていたら高いビルがあり、ホテルかと思い行ってみると、
そこの人が「ここはマンションだよ、ホテルはあっちにあるよと教えてくれた」指し示された辺りをウロウロすると
果たしてホテルが見つかった。ここは中級ホテルで部屋も広くエアコン、朝飯付で600バーツ(約1700円)
だった。
■タオ・スラナリの像

1月2日

 もう今日はバンコクへ戻る日だ。もう一日余裕があるがバイクも整備しないといけないし、明日は
バンコク方向はもっと渋滞しそうな気配であった。

 このコラートの街をビルマ軍から守ったという「タイのジャンヌ・ダルク」とも言われるタオ・スラナリの像を見て、
50km程北にあるピマーイ遺跡を見ることにした。ピマーイ遺跡は平野に広がる遺跡だが周りはやはり堀に
囲まれていた。朝のまだ人の少ない静かな時間に入ったので、なかなか雰囲気が良かった。来た道を
コラートへ引き返し、今度は南へ向かった。まだ時間があったので午前中はダートの道を求めてウロウロ
したのだが結局見つからず、昼頃には諦めて国道304号でカビンブリ、チャセンサオを通りミンブリから
バンコクに戻った。途中、道路工事をしている所では車は酷い渋滞だった。その横を飛ばしはしないが
快適に進めた。バイクに乗っていて幸せな気分だった。

 この道は途中から4年前までは三日に一度は工場に通った道なので懐かしさを感じながら、その時によく
立ち寄ったガソリンスタンドに寄ったりして、このツーリングの最後を味わいながら走り抜けた。
■ピマーイ遺跡

1月3日

 あっという間の1週間だった。もう今夜には日本に帰らなければならない。まずはツルツルに磨り減った
フロントタイヤを交換しておきたい。バイクを洗車したのち、バンコクで唯一オフロード専門店である
DIRTSHOPに向かった。しかし残念ながら店員はいたが今日は休みで5日から店を開くと言う。  

 店はいつの間にか道の反対側に引越していた。他の店でも聞いてみたが、今はオフロードタイヤはやはり
ダートショップでしか手に入らないらしい。残念だが今回は諦めた。

 このバイクを預かってくれる友人宅へ持って行かなければならない。途中、出発の時に入ったバイク整備店で
オイル交換をした。もちろん1800km程度の走行なので、さほどオイルは汚れてはいないが、
これから換える人もいないのだから、換えることにした。「あっ、また来たの」という感じで店のお兄ちゃんは
出迎えてくれた。友人宅ではブレーキフルードを交換し、チェーン調整・給油をしてプラスチックワックスで車体を
ピカピカに磨き上げた。夕暮れになりホテル経由でスワンナプーム空港へ、そして0:30発で帰国の途についた。
■相棒XR600

 今回、初めてタイ東北部をツーリングしたが、季節も大変良く、どこまで行ってもほとんど変化の無い景色に
余計「あぁ、大陸を走っているんだ」という気持ちにさせてくれた。

今回、見ることが出来なかったカオプラヴィハーン遺跡を次の機会にぜひ訪れたいと思った。そして長年の
夢であるカンボジアツーリングも強く思った旅となった。

 最後にバイクを大切に預かってくれたIさん、Tさん、そしてKさんとそのご家族、ご親戚に感謝をしたいと
思います。

 ここまで読んで下さり、ありがとうございました。