ニジェールのアガデスに行ったときの写真と文章を送ります。  ■地球ぶるるん旅行■  2005/11/25 作成
 8月の終わりに、ニジェールのアガデスに行った。この街はその昔、塩や金などを運ぶサハラの交易路として
栄えた 街だ。多くのラクダの隊商がこの街を訪れ、次の街へと去っていったことだろう。昔の面影を残しつつ、
今はひっそりと 佇んでいるようにみえる。
 アガデスはテネレ砂漠に近い街として知られているところである。テネレ砂漠といえば、サハラ砂漠の中でも
美しいと 評判の砂漠だ。ここまで来たからには、是非テネレを走ってみたいと思い、観光局や旅行会社に情報
収集に行った。 できれば一人で行きたいと思っていたけれど、本格的なテネレ砂漠へ行くのはバイク一台では
危険らしく、「一人で 行くのはお薦めできない」「車でも故障を考えて2台以上で行くところ」とツアーで行くことを
強く勧められた。
.... ....
アガデスのモスク
ニジェール人の約80%はイスラム教徒
である。金曜日にはこのモスクに何千人も
集まって集団礼拝する。
ミナレットからの眺め
モスクのミナレットに上って
アガデスを眺めた。
ざくろ。
 アガデス産のざくろとピンクグレープフルーツ
がとってもおいしくて、毎日食べていた。
 ニジェールに入ってからバイクの状態もあまりよくなく、ランクルとガイドを雇ってのツアーは高くつくので砂漠は
あきらめ、アガデス近くのピストをうろうろすることにした。
アガデス近辺の荒野には、サハラ砂漠の民トゥアレグ族の集落が数十キロおきに存在していた。集落は大小
さまざまで、十人程度のものから二百人以上住んでいそうな大きい集落などあった。
 トゥアレグ族とはサハラやその周辺に住む民族で、ニジェールをはじめ、チャド、マリ、モーリタニア、モロッコ、
アルジェリアなど広い範囲で生活している。彼らは黒人というよりはアラブ人という感じで、肌はそんなに黒くない。
黒人の中にトゥアレグがいたらすぐ見分けがつくくらいだ。山羊や水牛、ラクダを飼い、放牧しながら生活している。
アガデス等の都市で生活しているトゥアレグ族も多く、彼らは商売で生計を立てている。
キャメルマーケット
 アガデスでほぼ毎日あるラクダ市。大きな
立派なラクダは一頭450US$だとか。。。
トゥアレグ族
 腰帯には装飾が施された剣を携えている。
まさに武士のようだ。
らくだぁ。
サハラ砂漠にいるらくだはほとんど
ヒトコブラクダらしい。まつげながぁ〜。しばらく
見てると可愛く見えてくる!?
 ある村を訪ねたところ、女性が地面を掘って何かしていた。近づいてみると、1mほど掘った穴から水を汲んで
いる最中だった。集落のそばの砂地をたった1m掘ったところに、水があるという事にとても驚かされた。
水は茶色に濁っていたが、彼女は砂や異物が混じらないように気を配りながら、水をすくっていた。
以前テレビ番組で砂漠の民が「どこをどれだけ掘れば水が手に入るかわかる」というようなことを言っていたのを
思い出した。地形などから水脈の場所がわかるのだろう。祖先から脈々と受け継がれてきた「智恵」というもの
だろうか。
トゥアレグの男
 トゥアレグ族の男は素顔を他人に見せては
いけない、というおきてがあるらしい。
トゥアレグの女性
水くみ
 トゥアレグの女性が地面を1mほど掘って
水をくんでいた。こんなところを掘って水が
でるなんて、びっくり!!!
 アガデスは暑かった。モーリタニアやマリでサハラの暑さを体験はしていたが、アガデスも相当のものだった。
乾燥しているので日本の暑さとは異なるが、日なたにいるとジリジリと焼けるように暑い。比較的すごしやすい
雨季の8月ですら、気温は軽く40度は超えていた。

 違う村に立ち寄って休憩させてくれとお願いしたら、快く受け入れてくれた。女性が水牛か何かの皮で覆われた
家に案内してくれた。男達は放牧にでも出ているらしく、村には子供や女性ばかりだった。家の中はうす暗く、
かすかに獣のにおいがした。
トゥアレグ族の男 荒野 トゥアレグ族の家
 フランス語が話せる青年がやってきて、僕の片言のフランス語で旅について話たり、トゥアレグ族の言語である
タマシェック語を習ったりした。
 ニジェールの公用語はフランス語である。アガデスに住むトゥアレグ族はほぼ100%フランス語を話したが、村に
住むトゥアレグ人でフランス語を話す人は少なかった。タマシェック語しか話せない人が多かった。
しばらくすると家に案内してくれた女性が手に器を持って家に入ってきた。
中にはなみなみと水が注いであった。乾燥して喉が渇いていたので、ありがたい!と思い、器を女性から受け取った。

さて飲もうと目の前まで器を持ってきてびっくり。家の中がうす暗かったので気がつかなかったが、水は前の村で
女性が汲んでいたのと同じ真っ茶色だった。
真っ茶色の水にかなり躊躇したが、せっかくの好意を断るわけにもいかず、少しだけ口をつけた。砂地を掘って
汲んだ水だけあって、臭いも味も“砂”だった。とてもおいしいと言える代物ではなかったけれど、彼らにとっては
貴重な水に違いない。2、3度口をつけて、器を女性に返した。 
 青年がしばらくゆっくりしていったら、と寝床まで用意してくれた。突然訪れた東洋人に嫌な顔一つせずに受け
入れてくれて、なんて心が広いんだろう、なぁんていろいろ考えてたらいつの間にか寝入っていた。

 夕方アガデスのホテルに戻ると、ホテルの兄ちゃんが、「アガデスから南に70kmくらい行ったところに大きくは
ないけど、砂丘があるよ」と教えてくれた。どの程度の砂丘があるのかはわからなかったが、翌日はそちらに行く
ことに決めた。
テネレ砂漠の端っこ テネレ砂漠の端っこ テネレ砂漠の端っこ
 横で話を聞いていた同宿のアメリカ人旅行者のマットが、「できたら僕も一緒に連れてってくれないか?」と言って
きた。彼はアメリカのピースコープという日本でいう青年海外協力隊のような組織で2年間カメルーンの村で教師を
し、その後旅行しているという事を初めて会った時に聞いていた。

 いろいろ聞いてみると、彼はカメルーンの村では数学を教えていたのだけど、なぜかバイクに目覚めてしまい、
カメルーンでバイクの免許を取り、中国製「三力(SANILI)125cc」を買い、カメルーン国内をあちこちツーリング
してまわって、任期が終わってから同じバイクで西アフリカを旅するというちょっと変わったスタイルの旅人だった。
中国製バイクでカメルーンやチャド、ニジェールの悪路を旅してるんだから、なかなか気合いが入っている。

 アフリカは中国製バイクが多くて、もし故障してもスペアパーツはすぐ手に入るし、メカニックもよく修理してるから
かえって旅しやすいのかも…?

このバイクで大丈夫か、、、と思いつつも、奥地に行くわけではないし、一人より二人のが楽しいと思い、快諾した。
テネレ砂漠の端っこ アメリカ人マットと。
 翌朝8時頃準備し終わって、ガソリン満タンにして、いざ出発。
アガデスのマルシェで新鮮な果物を買ってから行こうかと市内を走ってたら、突然警官に止められた。どうやら
一方通行を逆走してたらしい。標識が見えにくいところにあって、全く気がつかなかった。
 ポリスは「ドキュメントを見せろ、警察署まで連行する。」と言い出した。
朝っぱらからそんな時間はないので、なんとか謝って、ツーリストだということを主張し、穏便にしてもらうように
努力した。30分くらい交渉して、無事開放された僕たちはいざ砂丘へと走りだした。
 50kmくらい舗装路を走り、そこから先はピスト。前日の夕立のせいで水を含んだ深い砂は見た目よりかなり
走りにくかった。マットの三力125ccは何度かスタックして足で漕いで前に進んでいた。
 ピストに入ってから30kmほどで目的の砂丘にたどり着いた。連なる砂丘群はなかったが、なかなか雄大な
眺めでまぁ満足。砂丘を走るもマットの三力125ccは度々スタックしてて大変そうだった。
 数時間砂、ピストを楽しんでアガデスに戻った。帰る途中だんだん雲行きが怪しくなってきて、案の定スコールに
降られた。雨具もなく、雨宿りするところも全くなく、ずぶ濡れになりながらようやくアガデスに辿り着き、お湯の
出ないホテルで冷たいシャワーを浴びた。

アガデスの北の奥地には、高さ400mを超す大砂丘があるらしい。

いつかまた、この砂漠の都市を訪れることがあれば、是非この眼でそんな大砂丘を拝んでみたいものだ。
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